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フォーラム
テーマ:第4回 避難所での経験と実践(体験談)(2006.11.6-11.27)
12年前の阪神・淡路大震災では、避難所の管理運営には、施設管理者、学校職員、地元の住民、被災自治体や応援自治体の職員、ボランティアなどが携わったのですが、当時は、管理運営のためのマニュアルがなかったため、まさに手探りで運営しなければならない状況でした。
このため、その後神戸市においては、当時の経験を生かしながら、自主防災組織の方が中心に避難者が自主的に避難所の運営にあたるマニュアルを作成しました。また、平成9年度には「学校防災マニュアル」を作成し、学校避難所運営における教職員の役割分担を明確にしています。
一昨年の新潟県中越地震でも、避難者数は最大で103,178人となりましたが、阪神・淡路大震災の経験を踏まえた避難所運営ルールが活用されました。
会員の皆さまの中には、大震災の時の避難所での対応にあたっていただいた方が多くおられます。今回の会議では、皆さんの避難所での体験談について意見の交換を行います。
投稿者 コメント
兵庫県神戸市 環境局施設課主査:西川 定
2006-11-12 19:09:23
第4回オンライン会議のお題が「避難所での経験と実践」とのことなので、当時を思い出しながら、少しフランクに発言しようかと思います。
 当時私は、災害対策本部民生部に所属しておりました。担当は避難所班で、課長1名、係長2名、担当4名の部署でした。所管は、避難所や各区役所に設置された災害対策本部との連絡調整といったところでしょうか。発生後3ヶ月が経過しており、一定の落ち着きはあったものの、連日のマスコミ報道などにも追われる毎日でした。区役所にも、主幹1名、主査1名が臨時に配属されましたが、2名のみで施設管理者やボランティア、救援物資など全てに対応できるわけもなく、区役所毎に状況も違い、活動の状況はそれぞれ異なっていました。マニュアルなど無く、それまでの役所経験、人生経験で対応していたと思います。
 避難所においても、その地域性というか、それぞれ個性があったように思います。規律のとれている避難所、力の強弱、声の大小によって場所や物資が決まる避難所など。
 公園に出来た避難所や、何箇所かの学校避難所は直接足を運びました。応援職員として避難所の対応頂いた方の中には、何か面白いエピソードをお持ちの方も多いのではないかと思います。
忌憚のないご意見、ユニークなお話はないでしょうか。
 
投稿者 コメント
埼玉県立精神保健福祉センター 主査:小野 敦郎
2006-11-14 09:40:36
 パネラーが少なくなりました。記憶も徐々に風化していくのでしょう。
 私は灘区の清徳小学校横公園の野戦テントで埼玉県医療チームの最終派遣チームとして、3月末撤収作業に当たりました。当時公園にはまだ多数のテントがあり、学校内にも多数の方がおられました。ただ、感じたのはこの時期まで残留を余儀なくされた方は、いわゆる災害弱者といわれる高齢者、生活困窮者、障害者が多かったように思っています。自身もテント生活を10日間送りましたので感じたのですが、お金のある人は既に住居を確保し、充分な食料もありましたが、避難所では毎日同じ「配給のパン、弁当」でした。正直に言えば、10日間で生活に飽きました。
 でも行く場のない方々にはどうしようもないことでしたでしょう。閉塞感があったはずです。仮設の発表の掲示板でただづむ人もたくさん見ましたが、声もかけられませんでした。悲しかったですが、何もできません。行政の、ただ10日間だけいるものの限界です。おっしゃるとおり、最後は人生経験、人間性と思います。しかし、そこを市民やマスコミから非難されることも多かったように思います。被災地の公務員は大変です。
 書いていると徐々に思い出としてよみがえり、書きたいことはたくさん出てくるのでまとまりません。また、書き込みます。
 
投稿者 コメント
埼玉県立精神保健福祉センター精神科救急情報センター担当 主査:鴻巣 泰治
2006-11-15 09:31:56
久しぶりに書き込ませていただきます。
今回は新潟県中越大震災について記載します。地震発生の4日後から川口町への支援を行わせていただきました。ちょっと気がついたことを書かせていただきます。
 私の住む地域でも、避難場所の指定がなされており、すぐ近くの高校が我が家の避難場所となっています。家族全員がこのことは周知していますが、川口町の現場に立ち会わせていただいてから、どうなるのかな?と不安に思うことがあります。我が家の家族は避難所で生活できるのか。避難場所が避難所の機能を果たせるのか?ということです。
 川口町では5697人の全町民に避難勧告がなされ、家屋の倒壊や、かろうじて残った家屋も倒壊の危険性から、自宅での生活ができなくなりました。自治会組織がしっかりしていて、お互い顔の見える関係から、体育館でも地域ごとにまとまって場所を振り分けたり、教室を避難所として利用時には教室毎に地域の方が生活をしていました。
 しかし、非難指定場所に行ってはみたものの、既に人が大勢で入れず、魚野川の河川敷や国道にて車上生活を余儀なくされた方がたくさんおりました。
 また、家から遠くでは不便なため、自ら自宅横での車上生活、車庫での生活を選択されたり、テント生活を選択された方もいらっしゃいました。
 指定の避難場所では自治会長さん方の努力で、様々な情報が届けられ(情報過多・物資が過剰)、食料や毛布といった災害物資が行き届いておりました。しかし、河川敷や国道横は非難者が自発的に集まってきており、ともすると隣の車の方はどこのどなたかもわからない方だったりしていました。大きな避難所とは、ほんの200mぐらい離れただけなのに、土手という壁とその場所の窓口となる方がはっきりせず、食料や毛布と言った救援物資が行き届かない現実がありました。医療チームとしてラウンドした我々に苦情が寄せられたりしました。

 避難場所というのは、住民全員が避難生活を送らねばならないということは想定外なのでしょうね。これは当たり前だとは思いますが、川口町では避難所に全員は入れなかった現実がありました。自発的な避難所が各地に出来て、食料や支援物資を届けるために、把握についても苦労があったようです。

 更に、大勢の中では暮らせない方もいらっしゃいます。身体的・精神的な病気や、障がいを持った方々、ペットを飼っている方々にとっては、更に過酷なことになったよう
でした。特に障がい者を抱えた家族は、皆に迷惑がかかるからと、食事は避難所に行って調達し、夜は傾いた家で暮らしていた人もいらっしゃいました。
 
 最初の段階で、自分たちはどこに避難するのかという事、次に避難スペースの問題、更に情報伝達の問題が発生することが考えさせられました。

 まだまだ書きたいことはあります。 また書き込みさせていただきます。
投稿者 コメント
兵庫県神戸市 環境局施設課主査:西川 定
2006-11-20 21:37:55
埼玉県立精神保健福祉センターの鴻巣さんへ
私自信も中越地震発生後、神戸市の支援チームとして小千谷市に派遣されました。発生後2週間が経過しておりましたが、同様のことを感じました。簡単に言ってしまえば、都市型地震災害と郡部型地震災害と言うのでしょうか。中越地震ではエコノミークラス症候群が問題となりました。中越地震を端的に表現できる事象ではないでしょうか。
埼玉県立精神保健福祉センターの小野さんへ
阪神淡路大震災の場合には、ご意見のとおりであったと認識しております。当時は指定避難場所として小学校区がベースに置かれ、広域避難場所として公園等が指定されていました。神戸でも、指定避難場所に入れず、独自に避難場所を確保されている方が多くおられました。我々は、ブランチとして避難者と同様の扱いとしていましたが、なかなか情報の把握に苦慮したことを思い出します。灘区は面積的にも狭く、六甲山と海に挟まれた地域で、公園避難所・ブランチの避難場所が多くあった場所です。隣の空き地に3世帯程度でテント生活をしているというようなケースもありました。
小野さんの発言のように、神戸の場合と言ってよいのか、都市型災害と言ってよいのか分かりませんが、長期間に渡る災害の場合、人そのものが持っているバックグラウンドが具現化すると言うことがあるように思います。避難所で周辺の人と調和が図られなかった人は、仮設住宅に移っても仲間はずれになっていたようにおもいます。大手企業などに勤務されている方は、会社からの融資もあり比較的早期に自立されたように思います。
ただ、行政マンの立場から発言すれば、もし、大規模災害が発生したとして、避難者全員を受け入れられるだけの設備・機能を、当該市町村で確保することは不可能だと感じます。中越地震の場合にも、災害の協定により東京都杉並区の職員の方が応援に来られておりました。
被災者の生活基盤等を考慮すれば、近隣市町村との連携、受け入れ体制等が重要ではないかと考えております。人間一人であれば隣人、一世帯であれば隣近所、一村であれば隣村など。都市部においては自治会のないところも多く、定住性も薄くなっていますが、人と人との繋がりを大事にすることが、なにをさておいても重要ではないでしょうか。


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